20歳夢追い人から40代社畜嫁が怖いになるまで

20歳一人暮らし大学2年生。ドラム、小説、オードリー、旅行が大好きです。自分の言葉を持っている人が好きです。

生きている意味。

こんにちは。大学生は生涯で見たときにかなり暇なんだと思います。
最近なぜ自分は生きているかなどと考えてしまいますが、それを友だちに聞いたとき、それは大人になったら答えが出ていないとおかしいというのです。それは、大人たちはなんで自分が生きているかもわからずにあんなに一生懸命生きているはずがない。ということでした。でも、それは自分たちが暇な大学生でなんで生きているかなんてどうでもよくて、明日どう生きるかを背負っている大人たちはそんなことを考えているほど暇じゃないのではないでしょうか。


大人になっても答えなんか出ない。


恋人と愛し合っている時のこのために生きている感というものは失ってから気づくのはだれしもだと思いますが、一緒に生きていく人というものは、自分で選ぶものではなく、成り行きで一緒に生きていくことになった人のことなんじゃないかなと思います。


女性が結婚するにあたって、一緒に生きていく人だということを前提に付き合う人を決めているから、自分の将来設計と照らし合わせて、落ち着きのある人とかいざというときに頼れる人が持てるように感じます。


しっかりした人間に見せるのが、一番モテる方法なんじゃないかなという気がします。


話は脱線してしまいましたが、生きている意味が大切な人なのだとしたら、その人が死んだらその人は生きている意味を失って死ぬのでしょうか。例えば今の彼女が自分が生きている意味なのだとしたら、その人と別れたら、その人は生きている意味がないのかという話になります。でも彼女と別れてもその人は生きていく。それは彼女をよりどころにしていただけだから。


書いてて、むなしくなってきました。今日はこの辺で、、、
意味なんかないからこそ、自分が楽しめる方向に常に向かっていかなきゃいけない。それが生きている意味になっていくのかなと思います。

一人で楽しむタイプの趣味をほかの人と共有する方法

バイト先で自分よりも本をずっと読んできた人に本を紹介してもらったんですよ。周りに本を読んでいる人がぜんぜんいない自分にとってはすごいうれしくて、明日さっそくおすすめしてもらった本を買いに行こうと思うんですけど、ホラー小説らしくて、自分に合うかどうかわからないのもまた楽しみなんです。


こんにちは。


本を読んだ後に感想を伝え合うのが、たぶん周りに本を読んでいる人がいる人の楽しみだと思うんですけど、普段本をたくさん読んでいるつもりでも、あの本どうだったって聞かれるといまいち感想が出てこないんですよね。友だちと感想を言い合うみたいなのって、けっこう細かいことをいうもんなんでしょうか。何を言えばいいのかわからないんですよね。ゲームとかスポーツとかリアルタイムで一緒に楽しめるものはいいんですけど、一人で楽しんで、あとからその楽しさを共有することが苦手というかやり方をあんまり知らないんですよね。それは自分が浅い読みしかできていないからだと思うですけど、逆に深い読みって何かなって思います。その物語を批評することが深い読みなのか、その物語のどこがおもしろいのか、作り手がすごいということを言えばいいのか。どれが深く読んだってことになるんですか?


これからきっと本好きの友だちとかもできていくと思うんですけど、そういう人たちと何を話したらいいんでしょうか。自分と趣味があわなかったらそれまでとしても、多少自分と趣味が合う人とは何を話したらいいんでしょうか。


誰か教えてください。#一人で楽しむタイプの趣味をほかの人とその楽しさを共有する方法

外面

発信するということは自分の中身を恐れずに見せるということだと思って、いざ自分の中をのぞいてみようとしてるんですけど、何もないんですよね。自分の中身を見られたくないから、あるいは、ほかの人と仲良くすることがすごい安心するから、自分の中身を見せて惹かれちゃったらどうしようとか考えると、例えば自分が会話の中で、面白いと思ったものを笑うことも「なんでこの人今笑ってるんだろう」とか思われたらいやだからみんなが笑わなかったら笑わないみたいな、自分の中身を見せることを極端に恐れる人間なんだなって思うんですよね。自分が何か言うことで、この場がしらけたらいやだなとか反射的に思って、自分の考えてることを口に直結させてないというか。ほんと怖くて。それが好きな人ならなおさらなんですけど。


とにかく、それでいざ自分の中身をのぞいてみようとしたらなにも入ってなかったんですよね。自分の感覚で世界を味わってないから。ほかの人とのかかわりでしか見てきてないから。ほかの人に認めてもらった感覚しかよしとしていないから。自分の本心ではそんなこと思っていないだろうなって思ってしまうから。自分がいいと思ったことを発言したりする場所が欲しいからブログとかを始めて、自分がどういう人間なのかを自分で考えたりしてるのかなと思います。


外面はいままでさんざん作ってきたんだから、それを外身だけ維持して、自分の創作だけでも自分の中のもやもやを発散できる場所にしたいな。と思って今文章を書いています。本来自分の中身を隠さず自分の中身の上に周りとの落としどころみたいなのを見つけて、人間関係をうまくやっていくのがいいのかなと思うんですけど、もう今更そんなことをやる気も起きないので、初対面の印象がめっちゃいいねとか、モテるでしょとか言われるまで、もう外面はしっかり作ってあるからなおのこともう、これで完成でいいのかなっていうね笑


別に顔がいいとかじゃなくて、うまく外面をつくるだけで、いい人に見せる方法というか、中身がある人にみせる方法は存在して、自分がこう見てもらいたいっていう方向にいくらでも持っていくことはできるんですよね。でも中身というかその人に実際入っているものだけはごまかすことができなくて、最近になってよく人としゃべっているけど、この人は中身で勝負できるなって人もいるし、外面がうまいなって人もいる。人付き合いの仕方だけでどういう人なのかなっていうのが少しわかったりする。それも面白い。それがおもしろいって思えてるのが、自分の中身一つ目かな。