20歳夢追い人から40代社畜嫁が怖いになるまで

20歳一人暮らし大学2年生。ドラム、小説、オードリー、旅行が大好きです。自分の言葉を持っている人が好きです。

友人関係

軽い精神疾患が自分にあるとわかってから、楽になる部分と余計につらくなる部分があって、ASDと呼ばれていて、共感能力がとても低いことの説明がつきました。今まで、人のいったことを自分の知っている感情以外まったく共感できないことが普通で周りも全員そうだと思っていて、みんな、共感したふりをしていて、人の気持ちがわかるわけではなく、頑張って想像することしか他人にはできない。だから、人の話を聞くのがうまかったり、人の喜びとかを一緒になって喜ぶことができたりする人たちは努力によってそこまでできるようになったのだとばかり思っていました。確かに、人と話すうえで気を付けていることも多いと思うし、その人の人柄が大きく影響しているのかもしれないけど、私がそうなることは不可能なのだとわかって、自分の中で理想としてきたそういう技術を身につけることはできないのだなとわかったのがつらいです。


たまたま同じくらい程度だと思われるASDの人の話を聞く機会があって、その人は自分が経験したことない感情は理解できないと公言していて、周りからも理解を得られているようでした。自分のどうしてもできないことを周りに理解してもらえている環境を作ったのが本当にすごいなと思ったし、自分は人の感情を理解できない自分を周りに受け入れてもらえるという自信がなくて、そうはできないだろうなと思いました。高校生の時、三年間クラス替えがなかったのですが、三年目の時、周りは自分の特性を理解してくれていたのだなと思います。だからこそあれだけやりやすかったし、自由にできたんだなと三年たった今感謝しかないです。


ずっとまともに友だちができたことがなくて、相手に共感されると、嘘だと真っ先に思ってしまうから、相手をずっと信用することができないのです。人を信用できるようになるためには、相手が自分とどのくらい一緒にいてくれたかで判断するしかないからこそ、学校という、三年間の時間だけでは、信用するところまでいかないのだと思います。


友だちを作りたくて必死に生きてきたからこそ、友だちができない理由に決着がついてしまっている現状がたまらなく辛いし、今後も友だちができないだろうなと確信できてしまいます。


男子の友だち関係って女子の人間関係に比べたら希薄なんですよね。証明がないというか、一方で、女子の人間関係は、強いイメージがあって、なんというか常に証明し続けられる感じがあるから、私は女子の友だちがおおいのかなと思います。


女子の友だちが多いことって、年齢が上がるごとにどんどん意味を失っていくんですよね。異性の友だちってだけで、遊びに行くのに誘いづらくなるし、二人で旅行行くのにもいろんなしがらみというか、周りが許さないし、そしたら、友だちと旅行するのが好きな私は終わりなんですよね。もちろん彼氏いてもずっとかかわってくれる人もいるけど、私はなかなか結婚するまでに時間がかかるだろうし、周りが結婚していくのを見ている間、私はだれとも遊んだりできないし、ああ、大学卒業したら、一人かもしれないなと何となく思っています。

26時のマスカレイド

26時のマスカレイドというアイドルの日本武道館公演を見てきました。


坂道のアイドルとは違い、ライブの客が10人を集客できて喜ぶというようなところから始めて、夢だった日本武道館に立つことを達成したアイドル。


自分たちで夢をかなえるということをファンの前で実践して見せたニジマスはほんとにすごいなと思いました。エネルギーをたくさん持つ人は見ていて、影響を受けることが多いし、夢を追いかけている人の持つエネルギーは底知れぬものがあります。そういう人が好きだし、負けたくないと思います。


夢が見つかっていない自分は少しむなしくなりましたが、ライブのMCでチャンスが来たらそれをつかみ取る準備をしておくことが大事なんだと教えてくれました。


何となく今の自分の進む道を示してくれるみたいでした。


これから来る何かに対して、備えておくことが大事で、準備する期間であることを忘れないように。

運転免許

今回のテスト期間あんまりテストの量がなかったので、長い間ためていた運転免許取りに行きました。運転って難しいんですね。当たり前に人の車乗ってたけどみんなすごい。。。


最後の試験めっちゃ待たされるし。旅行好きなので、これからいっぱいいろんなところ行くぞ!!って思ってたら、コロナでダウンして、悲しいです。


どうでもいいんですけど、本の感想で、何々がこうこうで悲しいっていうと浅い感想だと思われてしまうのってどうしたらいいんですかね。感想って人に言うと陳腐なものになってしまうときが多いけど、自分の思ってることを余さず伝えられたら人生めっちゃ楽しいんじゃないかと思うんですよね。でも、いざいろんな言葉で表現してみようとすると、そこまで、なにもおもってなかったことがわかって、逆に悲しくなりますよね。だから、サブカルって雰囲気とかをすごく大事にしているのかなって思います。自分を表現するってそう考えるとすごく難しいんじゃないかと思うんですよね。自分のことでさえもたいして、どうこうおもってない人が自分が持っている言葉の多さによって、思ってないことまで表してしまう。大きく見せるというか。本とか言葉ってあることに関して、感受性豊かに感じられる人のものなのかなっていうふうに思うんですよね。


自分のための言葉とか、存在してるのかわからなくなりますね。自分のことでさえあんまり興味ない自分が、人の一生とか表現できることってあり得るのかな。人の感情を動かせるような言葉を生み出せるのかわかんないんですよね。そしたらやってみるしかないと思って、小説を書いてみてるんですけどね。