20歳夢追い人から40代社畜嫁が怖いになるまで

20歳一人暮らし大学2年生。ドラム、小説、オードリー、旅行が大好きです。自分の言葉を持っている人が好きです。

幸せ

朝起きてスマホをすぐに開くことでまず世界に挨拶をする。最近全世界の人間の朝の日課となっている。世界と接続して、自分の居場所を確立させて、安心する。よかった、今日も世界は生きている。


こんにちは。


人を初めて愛せたところから人好きが止まらないのです。それはたぶん相手が好きなのもあると思うのですが、自分と相手が楽しさを共有している時間が好きなのかなと思います。ライブで自分がギターを演奏している姿が好きなのも、自分とみている人たちが楽しんでいるのを見るのが好きなのかもなと思います。最近好きって言えるものがないのは、人間関係を純粋に楽しんでいるはずなのにどこかで、それは好きって言う対象ではなく、どこか当たり前に感じていたのだと思います。自分の人付き合いの楽しみ方が変わったのにも関わらずです。最近思うんですけど、人を愛することを覚えたら、その人はすごい幸せになれると思うんですよね。それを知らない人が幸せじゃないのではなくて、それを知ってる人は幸せになれるんじゃないかなという話です。


今は自分の身の回りにいる人が好きでしょうがないからこう思うのかもしれないけど、環境が変わって今好きでいる人たちと会えなくなってもまた愛せる人たちを探しに行けるのかなと思います。自分が満たされた状態でいると、身の回りの人がいとおしく見えているのかもしれません。満たされているこの感覚でなにか物足りなさを覚えてしまうのは、たぶん自分が何でもない普通の大学生であることくらいかもしれないですね。


そういう自意識がずっとあって、暇になった時、好きな人の写真とか見てもそれじゃあ満たされない自分は何かするまでずっとこうなんでしょうね。ずっと何もしないまま後悔しているというか。何かしたいし、何かしなければ、このもやもやした自意識がずっと続くはずなのに何もできない。本当にしたいことがこの世に存在しているのかどうかもわからない。自分は発信するサイドの人間でいたいといいながら、ブログも最近ままならない。


夢中になるって難しくて、いろんなしがらみがありながらそれでも夢中になり続けられるのってそれこそ才能だと思うし、そういうのがあれば今こんな生活はしていないだろうなと思います。


勉強した先に自分のやりたいことがあると思えないから、テストがあれば勉強して、なければしないみたいな状況になるのだと思います。今の勉強をした先には、この狭められた選択肢の中でしいて言うならこれ、みたいなものしか待っていない。そういう感覚が大学入学したときからか、それとも高校生の時からかずっとあるんですよね。


そういう人が適当に勉強するのって、将来やりたいことが見つかった時に、役立つとかそれに備えてるだとかいうけれど、そんなものその時に夢中になってやれば、今までの20年間ぐらい1,2年で超えていけるんですよね。つまり今、しんどい思いしてやってる勉強なんかに意味はなくて、それは将来お金を生み出すための知識でしかない。それは自分の幸せを生み出す知識にはなっていないと思うんです。


でも生きていくためにはお金が必要だからみんな勉強してる。それだけの勉強なんだなと思います。夢中になれるという確信があるならそれを進んだ先にしか幸せはないと思うし、私はそれを親に止められてそこで止まってしまうようなその程度の夢だったり、その程度の覚悟なんでしょうね。ここで、将来自分の子供を自由にさせてあげたいとか言ってる人は親としてあんまりその子の成長に意味はないのかなと思います。私は幸せ至上主義的なところがあるので、幸せ第一で人生を考えるのがいいと思っています。同級生にへりくだって、自分の幸せはつかめないし、成り行きに任せてたどり着く幸せなんてないのかなと思います。


幸せを求めて自分たちは生きていくのだろうし、そのためには環境をどんどん変えていかなければならないと思うし、自分に合う環境の法則が見つかればそれは最強だなって思います。今が幸せじゃないのは自分のせいだって思える人間で痛いなと思います。自分でなんでも選んでいける人でいたいなと思います。


よくわからないブログですみません。

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