20歳夢追い人から40代社畜嫁が怖いになるまで

20歳一人暮らし大学2年生。ドラム、小説、オードリー、旅行が大好きです。自分の言葉を持っている人が好きです。

信じて

戦争と平和が相対して紙一重なように、人を信じることと人を裏切ることは紙一重である。


こんにちは、


恋愛とか友情って人間関係の中で一番難しいと思うんですよね。
社会的なつながりって表向きは仲良くするけど、裏ではどう思われていてもかまわないというような付き合い方じゃないですか。人はそれを大人な付き合いといいます。じゃあ大人になったらそういう表向きの付き合いだけやっていればいいのかというとそうではないと思います。恋愛や友情というのは年齢を重ねたからと言って尽きる悩みではないと思います。
恋愛とか友情とかで結ばれている相手って、相手のことを嫌いになったら、壊れる関係なんですよ。というより、壊れるべき関係なんですよ。喧嘩とかはさておきですが。壊れるべきっていうのは、壊れた方がお互いのためという意味ですが、婚姻関係などを結ばない限り、そこには、あまり利害関係は発生しません。利害関係があるそれらの人間関係はどこかで、大人な付き合いが発生するからです。純粋にその人と一緒にいて、楽しいだとか、なぜかわからないけど一緒にいたいと思うからこそ、恋愛や友情が生まれるのです。
私は声に出すのがあまり上手な人間ではないので、恋愛や友情関係で、相手のいやな部分が見つかった時にそれを相手の人に言ったりすることができません。よって、その部分がいつまでも気になって、最終的には嫌いになります。じゃあ言えばいいじゃんというかもしれませんが、そういう簡単な問題ではないのです。
言えばいいじゃんといっている方は、相手の嫌いな部分を相手にいえるのでしょうね。うらやましいです。その場で思ったことを言えないのは、思ったことはあるけど、言いたくないのではない。その場では、相手のいやな部分を目の当たりにして、それを嫌いだと思っているだけなのです。その場では感情が胸の内をもやもやさせるだけといいますか、感情がただ、沸き起こって、その感情を止めようとする方向に神経を集中させているので、外に出している余裕などはありません。その場で感情を出せた方が、人間関係はうまくいくと身近な人は言いますが、ほんとうにそうでしょうか。身近な人は人間関係が上手なので、正しいのだと思います。ここでは、私の考えに付き合ってください(笑)
私は人を悪く思うのが、悪いことだとおしえられてきました。人を悪く言ったり人に悪さを働いたりすることもです。だから悪く思ってしまうこの感情をどうにか沈めようととしてしまい、それが蓄積され、嫌いになってしまうのです。たとえその時々に愚痴をこぼしていたとしても、結局その蓄積量にはかなわないのです。人に愚痴を言うこと自体私はあいつが愚痴を言っていたと本人に告げ口をされたことがあるので、簡単には人を信用しません。ほんとに人を信用しなくなってしまいました。よって、身近に愚痴を言える人が限られるほどしかいないのです。そうなってくると、愚痴をこぼすよりも先に嫌いという感情のほうが先に限界まで来てしまうのです。友だちであっても、いやなところは必ず出てきてしまいます。いやなことが一つ出てきた時点で私の中ではその人との関係が終わったなと思うのは、蓄積して、嫌いに転換していくことを先に予期しているからなのです。私は、友情も恋愛もずいぶんさめたものとして、理解しているのだと思います。今の彼女も一年半付き合ってきて、ようやくあんまり好きじゃない部分を言えるようになって、自分とつきあっていたいなら直して、などと傲慢にいうことはないですが、徐々にいえるようになって同時に信用し始めました。身近にいる彼女ですら、このように信用するのに膨大な時間をかけるので、友だちづくりとかもめんどくさいなと思ってしまいます笑


私は今大学生ですが、ここまで、ずいぶん競争してきたように思います。スポーツなどでは、足が速い人たちに勝ちたくて、陸上クラブに入って、早く走れるようになったり、勉強では、高校受験や大学受験で、ランキングをみて自分はダメな人間だなと思ったり。音楽では高校で軽音部に入った時に経験者になめられないように、先にギターを習い始めたりと、新しい環境や、新しい競争に入っていくときには、必ずスタートダッシュを切ろうとしたり、ひたすら努力できるような才能があると思います。ですが、競争に精神をすり減らしすぎたせいで、もう体が競争することを拒否しているのです。大学受験の時には、もうずいぶん競争するやる気がなくなっていました。競争することは、とんでもなくエネルギーを使うものだと思いますし、その競争を勝ちに行くとなると、一秒も気を抜けない期間が勝つまで続いてしまうし、私は高校受験で勝ちにずっとこだわっていたので、そのつらさを知っています。競争は本当につらいです。
ここから、社会に出て、年収やら階級やらで判断される、つまり、強制的に競争をさせられる世界では、競争といったら勝ち以外目指せない自分がいたら私が死んでしまうと思いました。しかも自分がやりたいことではなく、他人に競争を強制させられる。それが、いやでいやで今、こんな自分でも競争を感じさせない、生活がどこかにないかと探しています。
今やっている音楽も時間が限られている中で、どれだけ多くの人を感動させられるかのような競争にさらされて、毎日精神をすり減らしています。一刻もはやく自分が競争しなくてもいい世界を探して、そこにいきたいと今自分のなかでまた時間と競争しています。もうやだ笑





疲れましたね。





日本が競争して勝つことこそを最大の喜びとして考えているのでしょうか。それとも、私が、競争して勝たないとその先には何もないと思い込んでいるのでしょうか、それとも世界のどこにも、競争がない場所なんてないんでしょうか。世界のどこにもそんな場所がないなら、私は残りの人生楽しいことなんてないと思います。上には常に上がいる。そんなことを考えてしまう私ですから、自分よりも頑張っている人は必ずいる。と考えてしまって、その架空の人物に負けていると判断したらそこから競争開始です笑




人生ってつまらないですね。




もっとおもしろいと思ってました。誰の下にもいたくないというわけではないんですけど、この死ぬほどつまらない今の状況を早く脱せる世界を血眼で探していきたいですね笑


誰が一番早く見つけるかの勝負じゃない。


って言いたいですね。


これが自分の世界です。


って言いたいですね。


その時私は本当の意味で人生を楽しめると思います。いまから始める最後の勝負はそこを死ぬまでに見つけるかどうかです笑
自分との勝負ってやつです。


最後まで読んでくれて、ありがとうございました。

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